囲碁と素数

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第14回 対馬海峡、その1

第14回では、はじめて現在進行中のことについて書いてみたい。これまで、いくつかの世界的に重要な海峡を見に行って来た。地中海から大西洋に出る出入り口のジブラルタル海峡、ヨーロッパとアジアをつなぐ境(ユーラシア大陸、地中海と黒海が接する)にあるボスポラス海峡ジブラルタル海峡は2019年にスペインから対岸のアフリカのモロッコに船で渡り、ジブラルタル海峡を越えた。ボスポラス海峡は2018年にトルコを旅行してイスタンブールボスポラス海峡を何度か渡った。これらは、当時、ドイツに住んでいる時に、ヨーロッパの西と東の果てにある海峡に興味があったので旅したところになる。それよりずいぶん前に行ったシンガポールも、マラッカ海峡(インドネシアとマレーシア、および、シンガポールの間にある海峡)にある国なので同じように重要な海峡と言える。船で越えたのではないが。

現在、旅行の計画を立てているのは、日本の対馬海峡を越えて、船で日本の九州、対馬から韓国、釜山への旅行である。リアルタイムでこの旅について書いていこうと思う。

旅行の準備では、対馬と釜山の間を結ぶ国際フェリーが、旅行会社の手配対象にならないので、全て自力で手配することになった。この会社、国際ライン対馬に何度か電話して(電話のみの対応)、運行・予約状況を確認した。問題は、台風のシーズンであるので、最終的な旅行日は5, 6日前にしか決断できないことである。そのため、9/11月曜から(10日間)という旅程を、9/1にほぼ予約するという形になった。博多までの新幹線は出発(月曜)の前の週に切符購入、大人の休日俱楽部には入会した。対馬の天気予報の変化が分かって来た段階で、博多からの帰りの新幹線切符を2日前の土曜に購入。

11日(月曜)、新横浜9:21のひかりで出発。背中に黒い大きなザックを背負い、手には小ぶりのザック兼手持ちにもなる普段使いの荷物の二つ。ひかりの終着、岡山で少し後のさくらに乗り換え、博多には3時頃着。久しぶりの新幹線で車内も空いていてそれ程の長い苦痛とは感じない。のぞみならもっと早く着くがJR大人の休日俱楽部の割引には仕方がない。博多駅から川沿いに対馬航路の出航地へ歩いた。港の方を見定め、歩きも疲れたのでちょうど九州郵船のオフィスが在り、第二ターミナルの出航地を聞いて、地下鉄で博多駅に戻った(210円)。

12日(火曜)、対馬行きのフェリーは朝10:00発なので、前日の地下鉄に乗り余裕をもって第二ターミナルに着き、港の周りで時間待ち。フェリーは様子が分からないので二等指定で前に予約していたが、乗船票に記入するだけで、当日その場に行けば問題ない(帰りはそのようにした)。船内は空いていた、二等指定のため1000円高いが大きな一部屋を一人で使えた(枕と毛布が10個くらい並べてあった)。途中、壱岐に寄り、主にデッキのベンチに座り4時間45分で対馬の厳原(いずはら)港に到着。1日持続する酔い止め薬を朝飲んでいたが、全く問題なかった。厳原港から他の下船客はあっという間にいなくなり、バス等もなくスマホを取り出し、厳原の町への方角を見定め歩いた。しばらくして港や橋を見ながら、先に東横インの目立つ看板が見えたので安心(これが後で、事件につながる)、と川沿いの道を歩く。東横インは4時にならないとチェックインできないので黒ザックを預け、厳原の町を歩く。対馬交通の窓口で明日のバス一日フリー券(1040円)を買い、観光案内所で、元寇文永の役(1274年)―宗資国以下80余騎が戦死―、朝鮮通信使などの展示、清水山城跡―16世紀末の文禄慶長の役に際し、本営である肥前名護屋城朝鮮半島の釜山を結ぶ輸送・連絡の中継地点として、秀吉の命により築かれた―など見る。簡単な夕食を取り、ホテルに戻ったところでスマホがないことに気付いた。夕食をとった店でも聞いたがなかった。

13日(水曜)、ホテル朝食後、厳原の交番(警察官はいないが専用電話で)から対馬南警察署に電話してスマホの落とし物を尋ねると(いろいろ事情を聴かれた後)該当するものがあるとのことで、8:30警察署の遺失物係で無事に見つかった。日本の親切な人に感謝。10:58発、比田勝行きのバスで2時間半かかり、国道382で対馬の南側から北の端にある比田勝、国際ターミナルに到着。途中の仁位で運転手が交代し、トイレに駆け込む乗客もいた。対馬は南北に細長い島で、長さ82Km。国道382はその後何回か往き来するが、概ねバスが高速走行できるように整備されている。一部では町中で細くなったり、山間で大型車のすれ違いができない部分があるなど、改良作業も逐次進んでいくようである。国際ターミナルにはほとんどが韓国人で前の便と私の乗るPanstarの便(16:30発)で混雑していた。Panstarの便は、一番はじめに国際ライン対馬で予約していたもの。窓口で往復の料金と日本側のサーチャージを払い、韓国側のサーチャージはウォンで現地で払うように言われた。乗船前に日本の出国管理が有り、パスポートを提示。韓国のプサン(Busan釜山)までは高速船で1時間半で着いた。ジブラルタル海峡の国際フェリーでは船上に係官が乗り込みパスポートチェックを行い、船客が長い列を作っていたが、それとは違う。Busanの国際ターミナルでは、空港と似たような入国管理があり、両替所で2万円をウォンに替えた。円を約10倍するとウォンになる。プサン港から駅までは陸橋デッキでつながっている。ホテルは東横インBusanで釜山駅の直ぐ前にあり便利、19階(21階建て)の部屋。simカードを入れていないので2日間は家族と連絡ができない。もっとも、1日前もそうであったが。

14日(木曜)、No.4 KTX(5:20)に乗るために早朝ホテルを出て、勝手がわからないのでずいぶん待ってKTXは出発した。KTXはフランスのTGVによく似た新幹線で、ただ車輛はうす汚れていた。2時間半でソウルに到着。KTXは事前に座席予約したが(コネスト)、駅に改札はなく、車内での検札もない。韓国の大きな駅は全ての線路・ホームの上を一つの大屋根で覆い、乗客は橋上からホームに降りる形式で、やはりヨーロッパ流の作りになっている。釜山駅は新しく大きいがソウル駅は手狭で余り機能はなかった。日帰りのソウルで余り下調べしていないので、北の方角、光化門(地下鉄)を目指して歩き、道路の渋滞がはげしくホップイン・ホップアウトのバスも見かけなかったので、当初のその計画を止め光化門からその先の景福宮を見学した。15世紀からの朝鮮王朝の宮殿であるが、文禄の役の際に全焼して使われなくなり、明治初年頃に再建されたが日本の統治下にあって意図的に作り替えられた、といういわくのある宮殿である。広い敷地であるが、再建された建物が残るだけで、日本の皇居のような実体はない。景福宮の借景となっている北側の白岳山のふもとに大統領府の青瓦台があるが、ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領は2022年にそこから移転してしまった。南の方角に戻り、ソウル駅の東にある山Namsanにケーブルカーで上がり(さらに、その上にNソウルタワーがある)、山頂から漢江もよく見えたので、そこまでは行かず下山することにした。左足のマメが痛くなってきた。山を下るとかなりの坂で、さらにその先ソウル駅まで住宅地の坂が続いている。ソウル駅に戻ったが、No.49 KTX(16:57)まで時間があるが駅の中には大した店も場所・機能もなく時間をもてあました。Korailの路線図でもそう路線密度も高くなく距離も長くないようだ。東京から博多まで乗った新幹線(のぞみで約5時間)とだけ比べても。東海道、山陽、九州新幹線とあり、列車種別の構成も多い。

沿線はとがった三角山(日本のとは違う)、道路がある風景で、日本の山岳、アルプスの様な高いものがあるのかどうか。KTXにもトンネルは少なくないが、日本のように長く、頻繁ではない様。

帰りのKTX車内から見ると日本のタワーマンションのような高層マンション―今では中国の(空き家、未完成の)タワマンですっかり有名になった、そっくりな形の建物―が、さして大きな街とはみえない地方のようなここかしこに林立している。KTXの沿線ではなく、遠くにも。韓国の土地・住宅バブルの状況が反映しているのではないか。戻ったBusanの街も異様にタワマンが林立している。横浜でも、東京圏でも他の外国でも(中国はどうか知らないが)見たことがない。

ソウルでもそうであったが、Busanでも表通りをひとつ入ると裏通りでは(東南)アジア風の街のたたずまいで落差が大きい。その一角のましなスーパー風の店で夕食を買った。テレビでは北朝鮮の金(ジョンウン)総書記とロシアのプーチン大統領の直接会談のニュースを大々的に流していた。

15日(金曜)、釜山港へ、2030 Busan Expoの垂れ幕と大きな工事中。サーチャージ1万ウォン少しを払い、円に両替すると10,264円(=95,999ウォン)となり、半分残った。ウォンに関しては、円の約10倍なので500ウォン100ウォンの硬貨(それぞれ簡単な鋳造、意匠しかない)2枚づつで缶コーヒーを買う感じになるので、これでは不便で、電子決済になるハズ。

比田勝に戻るPanstarの便8:50、出国手続き、韓国人客多数(定員420)。天気は悪く海は荒れているが、高速船でスピードが出れば問題はない。

韓国人は何しに対馬に行くのか。船に自転車バイクを積む韓国人グループもいる。日本、入国時には私は小ぶりのザック兼手持ちの荷物検査をされた。手持ちにするための手提げの収納部を開けて見ていた。韓国から対馬に入ってくる日本人は少ないのだろうか。

午前中に比田勝港に着いたので、思い出して大浦のタケスエというスーパーに歩いて行った(5Km強)。エビカレーを食べて、久しぶりにまともなものを食べた。買い物をして、比田勝港に戻る、結構、足のマメにはひびいた。不覚にも左の靴の敷いてある薄皮に穴が出来ていて、そこに力が集中してマメになっていたことが分かった。そういえば靴下のその部分に前から穴が開くので不思議に思っていた。靴自体は、実績のある頑丈な靴なので信用していたのが裏目に出た。今日のホテルは東横イン比田勝で、あいにく交通機関がない。景色はよさそうな港、海水浴場、日露海戦の碑がある岬を通り三宇田浜まで5 Kmだが上り下りの坂道。荷物も二つ、前後に背負う。夕方前には三宇田浜のきれいな浜でようやく休息できた。

16日(土曜)、朝、夜明け前4:30にザック兼手持ち一つでホテルを出発。道は、昨日の逆コースではあるが、明かりが全くない。はじめはホテルの明かりがあったが、三宇田浜を越え山道に入ると道も、自分の足元も暗くて見えない。舗装道路ではあるが、街灯もない、町の明かりも無い。空を見ると星座がきれいに見えた。これまで、屋久島を含めて星座を見る機会は夜疲れて寝ていたために逃していたが、ようやく実現した。しかし、道を確かめるのに必死で星座を鑑賞する余裕はない。日露海戦の碑のところでも道を行き過ぎて海の崖近くまで出て、昨日の記憶から引き返し、唯一あった自販機の灯りも頼りに道に戻った。期待していた夜明けの気配は全くない。道が下り始めて海水浴場が近づく頃、ようやく海上の灯りが見え始めた。予定していた比田勝国際ターミナル6:26発のバスよりもかなり早く港に着いた。バスで仁位で下車。川沿いに仁位浅茅(あそう)湾に出て和多都美神社を経て烏帽子岳展望所に登り、頂上からの360度の絶景を楽しんだ。そこからは対馬の真ん中を南北に2分する多島海である浅茅湾が展望できる。最初は静かに絶景を楽しんでいたが、しばらくして自転車のグループと団体バスの韓国人が大挙して来たので降り始めた。早出の効果はあったか?戻って、仁位浅茅湾のあなご亭という店を探したが、看板と地図が合っていなかったのであきらめた。帰りのバス時間まで仁位で待った。タケスエで下車して食をやりくり。

先程の韓国人は何しに対馬に来るのか? に対して、一つは自転車のグループのように近い外国に行って、異なる自然や体験をしよう。二、団体バスで移動してタケスエのようなスーパーで嬉々として買い物する姿を見ると、タワマンの林立する韓国第二の大都市から、対馬のような国境の人口2万人の小さな島で消費活動を過ごすという、落差の大きさを感じる。韓国では足りないものがあるのか。三、Panstarや免税店など韓国の資本も多く進出している。地元の日本側としては対馬交通のバスなどが韓国人で満員にならなければ、大きな問題にはならず、共存共栄できるのではないか。

さらに、この日はホテルの送迎が夕方は6時以降の30分間隔であると分かったので、予約して6時まで国際ターミナル待ったが、待ちくたびれた。

17日(日曜)、前日に懲りて、今日は二つのザックもあるので、朝8:15の送迎を使い、朝2番目の比田勝国際ターミナル発のバスに乗った。天気はこれまで概ね順調であったが、長崎県対馬長崎県に属す―で大雨や天気の激変が報じられていた。バスを、昨日の浅茅湾の中まで南下(国道382)して万関橋で下車。万関橋は日本海軍が対露戦に備えて軍艦艇が浅茅湾を越えて対馬の反対側に抜けられるように開削した場所、そこに架かる橋である。気分としては、国道382のバス道を小船越(遣唐使の時代、浅茅湾を越えるのを阻む陸の部分の距離が160m程の地峡部であった場所。小さな船を運んだり、歩いて船を乗り換えた。)まで戻ってみるつもりであったが、距離があり、空模様があやしい。一つ目のバス停の玉調までにして、あそうベイパークという町営自然公園に寄った。対馬は約1700万年前~1400万年前の日本海形成期に、海底に積もった堆積岩が隆起したもの。島内のいたるところで砂岩と泥岩の互層が見られ、対馬の地質はほとんどが対州層群と呼ばれるこれらのものになっている。

日曜だが人けはなく、雨が降ってきたので管理人棟(居室)で親切にも中に入れて雨宿りさせてもらった。バスの時間があるので出発し、大雨はひどくはなったが、無事厳原に帰って来た。マツモトキヨシで大きな白十字の医療ばんそうこうを買った。午後、あなごカツセット(1500円)を食べた、これが一番の食事だった。明日は、白嶽に登る、なにより今日は朝6時半まで寝て、朝食をとったので楽だった。

18日(月曜)、昨日、今朝の大雨には悩まされたが、朝、お船江(対馬藩の船だまり)に行った。この行き、まで雨・雷で、海か山か近くに雷がいくつも落ちている。帰りには晴れ、その後、バス(今ではかなり乗り慣れた)で、樽ケ浜入口まで行き、スーパーSaikiでタクシーを呼ぶ場所があるかと思ったが、無かったのでスーパーの人に美津島タクシーの番号を教えてもらった。私のauの携帯からは、その番号につながらなかった0920-xx-xxxx。しかたがないので、公衆電話からタクシーを呼ぶ。この時、スマホを置き忘れたようだ。これが後からヒビク。

タクシーはかなりの距離を走り、増水して橋の上に水が10cm位おおっている流れを越え、一番奥の白嶽登山道入り口まで着いた(タクシー2200円)。

登山道は今朝までの大雨続きでぬかるんではいるが、整備されている。沢沿いの道からやがて、目印のロープが張られて傾斜の増した道に変わる。鳥居や祠のある聖域に入るとやがて、目の前に石英斑岩(前述の堆積岩に地下のマグマの貫入の影響による)の巨岩が現れ(写真2)、下から見上げても全く見えないがこの上が山頂。巨岩の窪みをまきながら、むき出しの岩盤をよじ登る。何カ所か落下防止のロープが張られ黄色いテープの目印のある場所を通過する。山頂への最後の岩盤は雨でぬれて滑るがよじ登る。山頂は10人くらいが座れるほどのつるっとした岩盤である。登山道ではだれとも会わず、当然、山頂を独り占め。360度の絶景で北の浅茅湾(写真1)、日本海が東西の両側にあり、南の後方が対馬の厳原方向。雲、霧が海を隠したり、晴れたりと方角により時間で速く変化していく。標高は518mだが、海抜50m程度からの登山で、東西10Km程の対馬の中央にある白嶽からの眺めは格別である。家から非常食として持ってきたゼリー、大福などを食べ(未だ、羊羹は残してある)、気がかりはスマホが無いこと。下山を始める。

岩盤部分から下って来ると、なぜか初めての場所、鳥居のある「これより先、宮司以外の立ち入りを禁ずる」と書かれた(神域で、登山の禁止された)雌岳に対面する場所(写真3)に出た。ここより下には、どう見ても登山道らしい続きはない。この場所の上5mのところに登りの登山道で通って来た二つの祠(写真4)がある道が見えた。私が、その二つの祠がある道を只今下って来たならば話は簡単であるが、何故か、私は鳥居のある別の場所に降りて来た。では、下山する登山道はどこに? 登りでは、確か、白い顔のお坊さんの祠の次に釘のようなものがいくつもある祠が現れたと記憶している。しかし、今の位置関係では道は、また、白いお坊さんの祠の次に釘の祠と進むように見える。その道を行ってみた。慌てているつもりはそれ程なかったが、行ってみると最初の山頂への登頂を繰り返して再び山頂に出てしまった。今度は、下山するが、落下防止のロープが張られ黄色いテープの目印のある以前の場所を同じ様に下ったように思えた。しかし、また、鳥居のある場所に出て来た。今度は、より慎重に、冷静に位置関係を見直して、釘の祠、白いお坊さんの祠の左側へ、岩盤を鳥居の方向とは逆方向にまく道があるように見えた(実際にあった)。これが登って来た登山道ではないか。その道をしばらく行くと、やがてロープが張ってあったので、安心した。

写真2

私がボヤっとしていたのか、目印が、肝心の部分で存在しなかったのか。

山頂への道は、岩盤部分を行くので人に依っては自由度のある道スジのハズ。鳥居へ出る道と釘の祠、白いお坊さんの祠へ出る道との位置関係の情報は私にはないが、ここでトラブったのは私だけではないだろう、と想像する。

道は滑ってころぶ(易い)が、問題はない。その先の、水場で水の補給中に中年の夫婦二人とすれ違い会話する。白嶽登山道入り口の駐車場(5台可)に車が(私たち以外に)無かったが、どうしたのですかと聞かれ、タクシーで来ました、と答えた。彼らは、車があるが、これから登る、私は、車はないが、今下山。その後、韓国から来たらしい老年の夫婦とすれ違った。白嶽登山道入り口まで降りたが、車は1台だけ。往路、タクシーで越えた増水して橋の上に水がおおっている流れの部分に来て、今は5cm強の水深になっている。マメのできた反対の右足だけはだしになり、ケンケンで(木の棒も使い)4mほどの橋を渡った。この部分で道が鋭角に折れていて、別の舗装のない道が交わっていたが、それは無視した。道については、詳しいものがなく、スマホもないが、川に沿っていること、方向が東の海に向いていることを確認して進む。やがて、バス用の白嶽登山駐車場とトイレに出て、白嶽神社を通り、洲藻(すも)の方向に向かう。城山(金田城)―667年に築かれた山城。防人(さきもり)が配置され白村江の戦いで唐・新羅連合軍に破れた後に備えた。―へ向かう県道とY字で分岐する地点、タクシーで来た時に覚えていた。ここからは国道382までは3Kmほどで鶏知を目指せばよいが、田舎の3Kmは遠い。電話のあるような店があればよいのだが、ない。結局、鶏知の町中まで来て国道382は近くだが、酒屋、町のコンビニのようなお店があったので、電話を借りようとすると親切に美津島タクシーを呼んでくれた。美津島タクシーで出発点のスーパーSaikiまで乗り(600円)、スマホの落とし物がなかったか聞いてもらったが、無い。スーパーSaikiで店員に同じことを尋ねると、届いていると、私のスマホを渡してくれた。親切な方々に感謝。残念ながら、今日の歩数はスマホがスーパーSaikiに留まっていたために記録されていない。バスで厳原に帰る。