(2023年9月18日(月曜)、前14回から続く)
白嶽登山が天候により今日、月曜になったことを考えると、旅程計画中に対馬の天気予報が分かってきた時点で(前の週)、行動日がもう一日(月曜)必要になりそうだ、という判断は正解だった。
19日(火曜)、帰りのフェリーは8:50に出航、予想通り乗船客は多くなく、乗船票に記入するだけ。出航から数十分経った頃には対馬も壱岐も両方見える。ロシアとの日本海海戦では対馬の東の沖で両海軍が海戦した(1905年)。対馬海峡は朝鮮半島①対馬②壱岐③日本列島と3カ所の通路があるが、一番広い②をバルチック艦隊は通った。壱岐に寄港して乗船客は倍くらいになったが100名はいない? 定員は600名ほど。
博多港13:25着。天神経由でバスと地下鉄で博多駅へ。さくらで岡山まで移動する予定だったが、こだまに乗った。こだまはさくらに抜かれたので、さらに後のさくらに乗り換えて、岡山に着。ようやく、ゆっくり風呂に入り、洗濯もしないで疲れて寝た。これまでは、下着(3セットだけ)と靴下の毎日の洗濯、そして乾かすことはマストだった。
20日(水曜)、朝から後楽園に出かけた。路面電車(120円)。後楽園の南口から入った。入ったところで雨が降り出し、傘は大きなザックに入れホテルに預けてきたので困った(テレビの天気予報では降らないように聞いた)。南口の係の女性が、親切にもビニール雨具を下さった。代金はと言うと売り物ではないからと。旅行中に助けて頂いたいくつもの親切に感謝する。有難く、園内を廻り始めた。岡山城にも隣接して、広大な変化にとんだ趣のある庭園をのんびりと二回りほど散策した。岡山からひかりに乗る。新横浜着。横浜で白十字の医療ばんそうこう(パッド)を買い足して、国道1号のバスで帰宅。10日間の旅、国道1号、新幹線、博多、フェリー(対馬海峡)、対馬(国道382)、国際フェリー、Busan、ソウル、その復路が夕方終了した。
著名な「マンキュー経済学、マクロ編」第4版2019年、東洋経済新報社(Gregory Mankiw)には、米国と日本の経済指標が例えば、1960年から2015年までの推移のように対比、比較され図表として示されている。それが、以下の表の第3列の部分のように各章にわたっている。
5 |
国民所得の測定 |
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表5-1, 図5-2 |
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6 |
生計費の測定 |
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図6-1, 2, 4 |
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7 |
生産と成長 |
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8 |
貯蓄、投資と金融システム |
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256 |
貯蓄インセンティブの高まりは 貸付資金供給を増加させる |
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図8-5 |
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9 |
ファイナンスの基本的な分析手法 |
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10 |
失業 |
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318 |
均衡水準を上回る賃金により発生 する失業 |
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図10-1, 2, 3 |
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11 |
貨幣システム |
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図11-1 |
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12 |
貨幣量の成長とインフレーション |
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384 |
貨幣供給量の増大 1/P, P |
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図12-3 |
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389 |
貨幣流通速度 V=PxY/M |
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13 |
開放マクロ経済学: 基本的概念 |
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430 |
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図13-1, 2 |
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14 |
開放経済のマクロ経済理論 |
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467 |
開放経済における実質均衡 |
15 |
総需要と総供給 |
マンキュー経済学マクロ編500 |
マンキュー経済学マクロ編_物価- 利子率 |
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図15-1, 9 |
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16 |
総需要に対する金融・財政政策の影響 |
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550, 554 |
貨幣注入 |
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564 |
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17 |
インフレ率と失業率の短期的トレードオフ関係 |
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586 |
(a)総需要と総供給 |
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図17-6, 7, 9, 11, 12, 13 |
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18 |
マクロ経済政策に関する六つの論争 |
アメリカに続く経済は、やはり日本という例証ではないか。EUは連合である(しかも、アメリカはヨーロッパをかつては追い、そして追い越して、現在ある。)。中国などは、経済として特殊すぎて、対比にならない。
20年以上続いたバブル後の日本経済の低迷ではあるが、私の個人的な実感として、2019年に7年ぶりに日本に帰国して改めて感じたことは、日本の普通の住宅、家が地方でも都市(住宅密集ではあるが)でも、きれいになっていることを感じた。戦後に建てられたバラック風の家が消え、新築に建て替わっていたり、整備されている。NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」でいろいろ地方を見て回っても感じることである。これは、バブル期に都市の企業ビルがやたら豪華に建設されていた後、バブルが崩壊して庶民も資産収縮の被害を受けたが、2000年以降の失われた20年の間に暮らしが回復したのとつながっていた気がする。
今回の旅行で見た、異様なタワマン群から日本の(かつての)それとの30年くらいの時間差での既視感を覚えた。
防人と元寇の国境の島から海峡でつながり列島へと往復して、その距離と時間(歴史)を考えさせられた。この旅行記は2023年の秋(9月)のものである。
以下は、帰った後に調べたこと(やはり、準備不足だったか。)
地理院地図
双耳峰山頂の二塊の岩盤の間に鳥居があることを示す。
YAMAPのYoutubeから
ロープのある登山道を登ってきて出たところ。左にまいていくと雄岳頂上への道。この右手下に鳥居があり(写真3)、雌岳側の立ち入りできない境界を示す。帰途は、この登山道を逆に戻る。
YAMAPから 白嶽の最新登山情報 / 人気の登山ルート、写真、天気など | YAMAP / ヤマップ
この地図上での鳥居(写真3)の位置関係が頭に入っていたら、あるいは、直ぐ調べられたら、ここでコンパスを取り出し、東の方向が帰る登山道なので、二度目の山頂など行かずにスンナリと下山できたハズ。(ましてや、逆に、鳥居の下の方向(西の方向)に道を探したら、それこそパニックへの道だった。)
案内板(バス用の白嶽登山駐車場)にある上図の山頂への登り方(左周り)と前の図の右回りとが、違うことが気になる。
Google Earth 白嶽
この旅行前には、長い旅程の中に埋もれて白嶽がどんな山か、そのアプローチの具体的なものも含めてハッキリしていなかった。登ってみて、518mという標高ながら、屋久島の宮之浦岳に登ったときのような達成感があった。対馬を代表する山として、九州の名山の中に並ぶ山であろう。